通りのあっちからもこっちからも、クラブミュージックが爆音で鳴り響く。
その店の前には、体の線がはっきり出る服を着た、妖しい女性達。
キョロキョロしていると、呼び込みや物売りから次から次へと声を掛けられる。
ベトナムの若者、世界中からの旅行者が彷徨い、通りに向かって座れる店の前では、通りを見ながらビールを飲んでいる客。
明らかに健全な?青少年を連れて家族で来るようなところではなく、場違い感が半端ない。
想像していたよりも、はるかに賑やかで、びっくりして、しばしボーとしてしまった。
バンコクのカオサン通りよりも、派手になっているのではないだろうか。
ホーチミンのブイビエン通りに、昔の面影は、もはやどこにもなかった。
シンチャオ!
イサ@東京ひかりゲストハウスです。
9月に宿の休館期間を利用して、夫婦プラス子供一人でベトナムに行ってきました。
なんでベトナムかというと、バンコクのドンムアン空港でホーチミン行きの飛行機を乗る為に、お互いひとり旅同士であった私と奥さんの夕美子が出合い、今に至るというきっかけの場所だからです。もう、26年も昔の話です。
思い出の地、ホーチミンが劇的に変貌、発展しているという話は宿のお客さんなどから聞いていましたが、実際に自分の目でその変化を見ておきたいと、行くことにしました。
当時のホーチミンは、ベトナム戦争が終わって約20年。
ドイモイ政策もあって、
「高度成長期の日本って、こんな感じだったのかな」
と想像力を掻き立てられる、喧騒と混沌の中に、とても活力を感じられる街でした。
バンコクは、既に発展していて日本の都市のようだったけれども、ホーチミンはまだこれからという発展途上の面白さが溢れていました。通りには車が少なく、まだ自転車とバイクが半々位で、朝早くから「カンコン、カンコン」と町工場のようなところから音がして、人々が慌ただしく動いています。
戦争の影響がまだ残っているのか、片足の青年や、物売りの子供たちも多く目にしたけど、みんな明るく逞しい。
そして、そんな子供たちも、日本からの旅人には興味津々。
屋台で食べていると、最初は遠巻きに見ているだけだったのが、恥ずかしながらも段々近寄ってきて、片言のベトナム語で話しかけると喜んで応えてくれます。観光ずれしていない、面白さがありました。
26年経って、高層ビルが立ち並ぶようになり、バイクの洪水が道路を占拠するようになったホーチミン。相変わらず、混沌とした活気に溢れ、圧倒されてしまう。
そして、今も昔も、変わらないのはベトナム人のたくましさ。
26年の間に、就職して、結婚して、家庭をもって、ゲストハウスを開業し。白髪が混じりだし、自分の生活環境は大きく変わったけれども、あまり中身は変わってない自分。
夫婦プラス1で再訪できた感謝とともに、自身の成長の無さに、少々愕然としたのでした。
「過去の郷愁を現地に置いてくる旅」
というのも吹っ切れて、次に進むための力をもらえるような気がするものですね。