おかえりびと

旅を知り、差別を知る。(後編)

 

こちら、〈前編〉に続く〈後編〉です。まだの方は、先に前編をご覧になってください。

 

 

僕は中国人ではないのですが、それは置いておき、彼のその判りやす過ぎるレイシストっぷりにブチ切れた僕は、「テメェこの野郎!」と立ち上がり臨戦モードに。彼も立ち上がり、胸ぐらを掴み掴まれ、マジで拳を握ったその時に・・・周りの乗客の数人がドドッと押し寄せ、僕らは引き剥がされましてね。

よって、寸前で殴り合いには発展しなかったわけですが。他の乗客に囲まれながらも、彼は母国語で、僕は英語で、完全ブチ切れ状態で罵倒し合いまして。

僕はそもそもは平穏に座っていただけですから、この揉め事に関して何一つ落ち度はなく、ただ“見た目がアジア人”だったから?でケンカを売られ、それを買っただけの状況なのですが。なので、他の乗客たちも僕の目の前のレイシスト野郎に対して、たしなめる展開になると期待したのですが。

 

なんと・・・乗客たちの責めの矛先は、なぜか僕の方に。英語でのきっかけがわからず、僕が先にキレて暴走した構図に見えたのかもしれませんが。もちろん乗客全員ではないものの、「文句があるならお前が出て行け!」と、大勢からチャントのように浴びせかけられたんですよ!!

僕は心の底から失望したものの、バスはすでに荒野の道中を走っており当然、降りるわけにはいきません。チャントを受けた時点で僕の心は折れ、発端の彼とのケンカもそこでやめましたが、どうにも行き場はなく。もちろん先ほどと同じ席に座る気にはなれず、どうしようもないので運転席の横の極小スペースに座らせてほしいとドライバーさんに頼み(彼は状況を理解してくれました)、椅子のないその場で10時間以上を過ごすハメになりました。

 

しかし、そんな中でも、一つだけいいことがありました。それは夜行バスでしたが、狭すぎて(&ヒートアップしたせいで)僕は全く寝られず、ずっと耐えておりました。すると、他の乗客が寝静まった深夜に、忍者のように忍び寄り、僕の肩をトントンと叩く者がいる。振り向くとそれは20代くらいの若い女性で、手にはお菓子と、タバコの箱ほどの大きさの紙切れがあり。彼女はそれを僕に渡し、すぐに自分の席に戻って行きました。

その紙には、英語でこのように書かれていたのです。

「本当にごめんなさい。この国には、差別の問題が根強く残っています。私も、差別を受けます。しかしあなたが今、向かっている私の祖国には、あんな人たちはいないので安心して下さい。ようこそ、◯◯へ」と!

日本から遥か遠くの国での、深夜の長距離バス。寡黙な運転手の横で独り、泣きそうになったことを、僕は今でも鮮明に覚えています。

 

翌朝、彼女は終着地ではないところで降りたようで、僕が気付いた時にはもういなくなっており、お礼を言えなかったのが残念でした。到着したその国は小さく、人気の観光スポットがあるわけでもないので、僕はたった一泊しただけで次の国に移動してしまいましたが。よって街並みの記憶はほとんどありませんが、彼女が伝えてくれた通りに、人々は皆さん親切で歓迎的な、素晴らしい方々でした。いつか、また訪ねたいと思います。

 

僕自身には、差別のマインドは皆無です。国民性や人種による性格の傾向はもちろんあり、僕もそれを意識する事はありますが、「◯人は嫌い」みたいな線の引き方は、絶対にしません。これは僕が、幼少期からアメリカでたくさんの多人種な人々と接していたことが、一番の大きな要因だと思います。散々な目にあったこのバスでも、ドライバーさんはおそらく出発地の国の方で、僕は彼の親切を受けたわけです。日本にだって、素晴らしい人々がいる一方で、ロクでもない人間もいます。僕にはトラウマ的な経験を元に「あの国には二度と行きたくない」があるだけで、だからといって「あの国の人間はレイシストだ!」といったラベル付けをするようなことは、絶対にありません。

 

僕が初めてこの問題でショックを受けた時の記憶もあります。中学時代に、黒人の英語ALTの先生が質問を受け付けた際に、僕と仲の良かった一人のクラスメイトが手を挙げ、「先生って、なんで手のひらだけ白いんですか?」とサラリと聞いたのです。

彼は悪い人間ではありませんでしたし、それが相手に対してどれだけ失礼か、どれだけ尊厳を傷つけるか、全くわかっていなかっただけなのでしょう。しかし、その時の先生の、長い無言と悲しそうな表情が、僕は今でも忘れられません。

 

世界中の人々が立ち上がった「今度こそ、真の差別撤廃を!」の流れに、僕ら日本人の反応がいまいち弱いのは、歴史や環境、国民性のせいもあり致し方ない部分もあります。しかし日本人は、“そのつもりはない言動が、外国人には差別と受け取られちゃった”ケースが多いように感じます。これは、僕もごくたまにやってしまい、後に強く反省することです。

日本人は、世界ではむしろ差別“される”側の立場です。僕らはそれを自覚し、他人事だと目をそらさず、世界中の、痛みを感じている方々の想いを知り、その想いの理解への、努力をするべきだと思います。

 

 

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